社会貢献活動
Charity
とりすえの被災地支援の取り組みは
代表の強い思いと経験からはじまった
四川省地震で復興活動に参加しました
水はあったし現地までの道路も問題なかったので特に過酷という状況はなかった。というのも、若いころに解体屋で2年くらい働いていたことがあるので、その時は常に3K(危険、汚い、きつい)と隣りあわせだったからかもしれない。
瓦礫の撤去作業は、きついがこつこつやるとしっかり結果に出てくれた。自分の力を最大限発揮できた。仕事が終わると、うちの方と一緒にお茶を飲みながらタバコを吸う、そんな時間が幸せだった。中国語が話せれば、現地の方の心境や元気になってもらう言葉を投げかけられたので良かったと思う。
この活動をはじめ、当社の代表山口は幼少期の頃から、海外の貧しい子供達や難民の方々の生活に胸を痛ませ、何か助けられる仕事に携われないかと思っていました。20代の頃には世界のあらゆる地域へ足を運び、ボランティア活動に参加したり、被災地などで支援活動を行なってきました。正式にとりすえの五代目を継いだ後も、世界がもっと幸せであって欲しいという想いは強く、以下の団体における活動に賛同し、売上の一部を寄付し、微力ながら末長く支援に努めております。
継続支援団体
公益社団法人 シャンティ国際ボランティア会(SVA)シャンティ国際ボランティア会公式サイト
シャンティはアジアで子どもたちへの
教育文化支援を行うNGOです。
また1995年の阪神・淡路大震災以降、国内外で
緊急救援活動も行っています。
■ 海外での活動<内戦や貧困などによりまだ教育が行き届いていない子どもたちの為に>
カンボジアでは56%の小学校教員が高校を卒業していません。ラオスでは10人に3~4人は小学校に入学しても卒業ができません。アフガニスタンでは、15歳以上でも約80%が読み書きできていません。
このような問題に対し、シャンティは、タイ、ラオス、カンボジア、ミャンマー(ビルマ)難民キャンプ、ミャンマー、アフガニスタン、ネパールの6ヶ国7地域など、子どもの教育のために活動しています。
■ 国内での活動<東日本大震災における被災地支援>
東北3県で「移動図書館プロジェクト」(仮設住宅を中心に本を積んだ車で巡回する移動図書館活動、集会所に本棚を設置し定期的に本の入れ替えを行う文庫活動、図書室の設置と運営。)を、気仙沼市で「気仙沼復興プロジェクト」(コミュニティセンターや住宅の再建などの地域コミュニティ支援、長期休みを利用した子どもの居場所づくり、漁師の生業支援。)を行っていました。
■ 国内外で緊急救援活動
阪神・淡路大震災、東日本大震災、平成30年7月豪雨、スマトラ島沖地震・津波、インドネシア地震後の救援活動など、これまでに67回出動しました。
Rescue Foundation
(レスキューファンデーション)Rescue Foundation公式サイト
インドのムンバイを拠点にインドで4箇所のセンターを運営しているNGO団体です。
International Labour Organization の調査によると、インドでは年間1390万人が人身売買の被害者になっています。 レスキューファンデーションでは、主にバングラデシュやネパール、ミャンマーなどから、人身売買の被害にあい売春施設で監禁されている女性の救出を行っています。
救出後、センターにて心のケアや、社会に戻ってからも自立して生活出来るよう、リハビリやトレーニングを行い6〜10ヶ月程で、帰郷させます。
今までに5000人以上、年間約100〜150人を救出し、警察やパートナーNGOの救出した少女も含め年間400人から500人のリハビリ及びトレーニングを行っています。
特定非営利活動法人チャイルド・ファンド・
チャイルド・ファンド・ジャパンChild Fund Japan公式サイト
すべての子どもに開かれた未来を。
をテーマに、1975年からアジアの子供たちを
支える活動を行なっています。
スポンサーシップ・プログラムでの活動をしており、
1対1でひとりの子供と繋がり、
成長を支える「里親」的な支援方法を導入しています。
■ 生かし生かされる国際協力を通じて子供の権利を守る
チャイルド・ファンド・ジャパンは、ビジョンを達成するために、支援を通じてつながるすべての人々が、様々な違いを超えて、お互いが人生に意味を見出し、「生きていてよかった」と思える国際協力を実践することを通して、子どもの権利を最優先に位置づけた活動を展開します。
PROJECT PEARLS(プロジェクトパールズ)PROJECT PEARLS公式サイト
シャンティはアジアで子どもたちへの
教育文化支援を行うNGOです。
また1995年の阪神・淡路大震災以降、国内外で
緊急救援活動も行っています。
フィリピンの首都マニラにあるトンド地区で活動を始め、今日ではルソン島ブラカンやザンバレス、ミンダナオ島サンボアンガシブガイで子供の健康と教育の為に活動を行っている団体です。トンド地区は、マニラ中のゴミが集まるエリアとして知られていて、タガログ語でPagpagと言い、人が食べ残したフライドチキンの残骸などを集め再び火を通し、飢えをしのいで生活している人もいます。プロジェクトパールズでは、常時ボランティアの募集を行っており、毎日行われるフィーディングプログラムでは、子供たちへの食事の無償提供に参加できます。また、スクーラーシッププログラムでは、年間一定金額を負担することにより、奨学生の1年間の学費、教材費、制服や靴等が賄われます。
支援団体
特定非営利活動法人 CODE 海外災害援助
市民センターCODE公式サイト
CODE海外災害援助市民センターは幅広い智恵や能力をもつ企業、行政、国際機関、研究機関、NGOなどを含めた市民の集まる場として2002年1月17日にNPO法人として発足しましました。「最後のひとりまで」の理念を胸に、「寄り添いからつながりへ」人間復興となる救援を実践。痛みの共有を、弱い立場の人が、被災によってより不利な立場に置かれ続けないよう、子供、女性、障害者、高齢者、外国人、マイノリティなどへの支援活動を重視、また、災害救援は、最後のひとりの人権を回復するまで、直接的に、間接的にかかわることが求められる撮の理念により、「被災者」と一括りにするのではなく、多様な一人ひとりを尊重し、たったひとり、最後のひとりの声にも耳を傾けています。
■ 現在の災害救援活動
アフガニスタンぶどうプロジェクト、中国四川省大地震、ハイチ地震、中国青海省地震、フィリピン台風ハイエン、ネパール地震
■ 国内外でこれまで行った緊急救援活動
連続するメキシコ地震、エクアドル地震、アフガニスタン・バタフシャン地震、ネパール地震(継続中)、アフガニスタン雪崩災害、アフガニスタン地滑り、フィリピン台風ハイエン(継続中)、メキシコ・ハリケーン、トルコ東部地震、東日本大震災、インドネシア・ムラピ山噴火、中国・青海省地震(継続中)、チリ地震・津波、ハイチ地震(継続中)、サモア・西スマトラ地震、イタリアラクイラ地震、中国・四川大地震(継続中)、ミャンマー・サイクロン・ナルギス、バングラデシュ・サイクロン・シドル、インドネシア・ジャワ島中部地震、フィリピン・レイテ島地滑り、中南米ハリケーン、パキスタン北部地震、ハリケーン・カトリーナ(アメリカ)、イラン・ザランド地震、スマトラ沖地震・津波、タイ・バンコク スラム火災、イラン南東部(バム)地震、アルジェリア地震、トルコ・ビンギョル地震、中国ウイグル地震、イラン・ガズウィーン地震、メキシコ・ハリケーン、アフガニスタン北部地震、インド西部大地震、エルサルバドル地震、メコンデルタ大水害(カンボジア・ベトナム)、モンゴル干ばつ・大寒波、モザンビーク大水害、中国雲南省地震、ベネズエラ水害、台湾大地震、トルコ大地震、メキシコ地震、ペルー水害、コロンビア大地震、ホンジュラスハリケーン・ミッチ、パプア・ニューギニア地震津波、アフガニスタン大地震、パプア・ニューギニア大干ばつ、アフガニスタン大地震、中国河北省大地震、朝鮮民主主義人民共和国大飢饉、イラン大地震、インド南東部ハリケーン、カンボジア大洪水、中国南部大洪水、中国雲南省地震、ロシア・サハリン地震
とりすえ慈善支援活動
チャイルド・ファンド・ジャパンへの支援
フィリピンの約7000もの島々の一つ、ミンダナオ島。このエリアは主にトウモロコシ、野菜、バナナ、カシューナッツなどを生産し、市場で売って現金収入を得ていますが、生産性が低く貧困の世帯が8割以上を占めています。フィリピンは2012年より教育制度が変わり、小学校(1〜6年生)とハイスクール(7〜12年生)から成ります。学費は無償ですが、文房具や制服、交通費やお昼ご飯などを準備する余裕がなく、学校に通えなくなる子供たちがいます。そんな子供たちに教育支援するため、学用品や通学のための登録費用などの支援、また栄養管理をし、必要なチャイルドには栄養指導を行います。当社ではその活動に賛同し、現在ミンダナオ島で暮らす2名のチャイルドを2018年11月よりスポンサーシップ制度にて毎月支援しています。
Rescue Foundation(レスキューファンデーション)への支援
インド西岸に数千件もあると言われている売春宿。そこへ年間数万人もの幼い少女が供給され続けている現状を改善すべく設立されたNGO団体です。被害にあった子供達を救出し、リハビリや教育、職業訓練を受けさせる活動に弊社も支援しています当社代表がドキュメンタリー番組で観たことをきっかけに、2007年、初めて現地を訪問致しました。2019年2月には現地の事務所及びムンバイセンターを視察し情報交換しましたそして世界各国からの安定した支援はあるものの、4つのセンターの稼働及び更なる少女の救出にはまだ支援が必要だということを知り、30万円の寄付を致しました。また、継続して年間120万円の寄付をする方針を固めました。
PROJECT PEARLS(プロジェクトパールズ)への支援
フィリピンの首都マニラにあるトンド地区スラム街。その中ではゴミを漁り、食べ残しの廃棄物で飢えをしのぐ子供たちの姿が日常の風景となっています。そんな実情に心を痛め、弊社ではその中で暮らす、ランマーリムシック君とライアンローベス君を支援する方針を決めました。
2019年5月には、弊社の代表は実際に現地を訪れ、ボランティア活動に参加して参りました。スラム街で暮らし、教育を受けないまま大人になり、その子供もまた同じ道を辿ってしまう、この負の連鎖を止めることに微力ながら協力できたらと、改めて強く感じました。
熊本支援
沢山の方にご協力を頂き、終了しました。 2016年9月8日付で57,000円を特定非営利活動法人CODEを通して、被災地NGO協同センターへ寄付をしました。ご賛同頂きました皆様に、心より感謝申し上げます。
- 募金先
- 特定非営利活動法人CODE海外災害援助市民センターhttp://www.code-jp.org/
とりすえネパール支援企画
甚大な被害をもたらしたネパール大地震
現地時間2015年4月25日11時56分にネパールの首都カトマンズ北西77km付近、ガンダキ県ゴルカ郡サウラパニの深さ15kmを震源として発生した地震。規模はMw7.8と推定され、この強震によっての犠牲者は死者8,460人、 負傷者20,000人超(5/12現在)。また建物の倒壊、雪崩、土砂災害などにより甚大な二次災害が発生。ネパールでは、建物はレンガ積みの耐震性のない脆弱な構造のものが多く、また山岳地帯では地すべりも発生しやすいなど被害が大きくなる要因がある地帯であった。
とりすえからネパールへの支援
私たちは、少しでも多くの人にネパールに対して関心を持って欲しいと願っています。 ネパール地震について「とりすえ」としてできることはお金を寄付すること。 ただ寄付するだけでなく、少しでも多くの人に関心を持ってもらいたいと願っています。 また弊社には10人弱のネパール出身の従業員がいます。彼らは非常に心を痛めておりますので、少しでも明るくいてもらえるようにいい会社の雰囲気を作ることを努めています。
(株)とりすえ 代表取締役 山口 勝憲
■ 2018年「サラソティ小学校校舎建設」─── 支援金額 ¥1,000,000
シャンティ・デビ小学校に続き、同じようにほとんどの校舎が地震によって崩れてしまったベルコットガディ市にある小学校の再建を支援することを決めました。近くに学校が無くなってしまったため、小さな子供たちは舗装されていな悪路を片道1時間かけ、歩いて通学しなければなりません。2019年2月に贈呈式が執り行われ、代表の山口、他社員一名が現地へ足を運び、贈呈式に参加しました。多くの子供達と触れ合い、子供達の笑顔に囲まれた画像を見ると、意義のある事をしているんだと社員一同実感致します。
■ 2017年「シャンティ・デビ小学校校舎建設」─── 支援金額 ¥322,000
シャンティ・デビ小学校は、首都カトマンズから北に28km、標高約1,500メートルの小高い丘の上に位置しています。地震後の校舎はトタンで作られており、夏は暑く、冬はとても寒くなるため、児童たちは劣悪な環境での学習を強いられていました。2018年夏に、弊社社員の出張で実際に建てられた校舎を視察してきました。2018年時点でもまだ瓦礫の残っている部分が多く、復興がうまく進んでいない状況が伺えました。新しく建てられた校舎は耐震構造になっており、安全な学校内には子供達の元気な姿、笑顔が溢れてました。学校のプレートには当社の名前も刻まれていました。
熊本支援
沢山の方にご協力を頂き、終了しました。 2016年9月8日付で57,000円を特定非営利活動法人CODEを通して、被災地NGO協同センターへ寄付をしました。ご賛同頂きました皆様に、心より感謝申し上げます。
- 募金先
- 特定非営利活動法人CODE海外災害援助市民センターhttp://www.code-jp.org/
従業員から伝えられるネパール日々の現状
今も震災の悲劇は続いています
6人の兄弟を持つカブレパランチョーク郡出身のティングさんは勤続1年。自給自足の貧しい生活の中で育ちながらも、兄たちが協力しティングさんを大学に行かせてくれたという。しかし、大学に毎日まともに通うと仕事がなくなり生活が厳しくなるのが現実。「大学へは一日数時間だけ通っていた。」そんなある日ティングさんは決意を固める。海外生活に将来を託してみよう。カトマンズから歩いて8時間ほどの故郷に自分の経験を持って帰りたい。
そんな思いからティングさんの日本生活は始まった。震災後日本がとった協力的な活動に感謝をしきれないというティングさんも、友人と5万円ずつ出し合い家族に送金したという。「ボランティアは簡単なことではない。ネパールの為に色々な事を考えて頂き本当にありがたい。」と感謝の気持ちを語るティングさんは、「募金するというきっかけからネパールもっと知ってもらいたい」と付け加えた。
ラメチャップ郡出身のサビナさん。「みんな優しくてこの仕事が好き。」と笑う彼女は、その愛嬌で圧倒的に多い男性従業員に花をもたらす存在だ。「とりすえに入社するまでは、鶏の部位にはそれぞれの味があり異なった調理法があることすら考えなかったの。家族が見たらきっとびっくりする!」とサビナさん。
故郷では一ヶ月に一度だけ親戚一同が集まり鶏を絞め分けるそう。その調理法はほぼカレーだったとか。彼女の実家はかろうじて倒れなかった。しかし、ヒビが入った建物は危険な状態であり中には入れないサビナさんの家族は、一日5回ほど来る余震に恐怖を感じながらヤギと牛と一緒に外に作ったテントで眠っているという。
首都カトマンズの水不足が深刻な問題となり、毎日1000人もの5歳以下の幼い命が落とされているニュースを目にした人も多いだろう。節水と衛生整備に関して、政府をはじめとする人々に知識がなかった事が、本来ならば防ぐことができた状況だと指摘されている。中国への国境に隣接する地域を流れるメラムチ川から26キロメートルの導水トンネルを掘り、浄水場・水道管の整備と水道事業の民間委託を目的とする国を挙げてのプロジェクトは発足から15年上たった今も未完成、遅延状態が続いている。
そんなメラムチ地区のあるシンドゥーパルチョーク郡がマヘシさんの故郷。震災ではネパール政府から優先地域に指定されたもっとも被害の多かった地域の一つだ。「地震でというより、地震で倒れた家で人が死んだ、と言った方が適切」だと状況を語るマヘシさん。日本の軍隊やボランティアチームが活躍中だと家族から連絡があったそう。しかし一方で「甥っ子や姪っ子達の小学校は閉鎖されたまま」という。いち早く復興し、美しい国を取り戻してほしい。マヘシさんは、寺院などは半分以上倒れて形がなくなったと寂しそうな目をしながら、ポカラ、ラムズン、カトマンズ盆地、ナガルコットなど、観光名所の名を連ねた。「是非これらの素晴らしい観光名所を検索してみてください。とても癒される光景が広がっていますよ!」